名所図絵とは?
名所図絵は江戸時代に流行した観光ガイドブックです。当時の神社仏閣は観光地名所で、本稿は神戸市東灘区にある、本住吉神社について書かれたものです。
本住吉神社
菟原郡
東は寺岡より、西は生田川、南は海中に限りありて、北は山中にあり。
「伊勢物語」
うばらあしやの里といへり。
菟原住吉ノ祠
住吉村にあり。野寄、岡本、田中、片町、住吉、横家、魚崎、西青木、共にこれを祭る。
呼て山路の荘といふ。
祭神四座、天照太神、八幡宮、神功皇后、住吉:摂社・春日・諏訪
住吉、表筒男、中筒男、底筒男の三神は、神功皇后、三韓を伐せ給ふ時の軍に従ひし御神にして、御凱陣の時、皇后に誨へて、荒魂を長門ノ国山田に祭らしめて、明年、豊浦ノ宮に移し給へり。
それより海辺二十二社を勧請し給ふ、其のひとつ也。又、大阪の南に祭りしは和魂なりとぞ。
補足説明
○境内に、知時石、大海ノ神祠、神宮寺ノ舊蹟、若宮八幡、御崎濱等の名あり。
○この村はづれより、麻耶山の道ありて、五十丁斗也。
○八幡○若林氏實無蜜柑○五毛天神等、焰魔堂(閻魔堂)までの間にあり。
「播州名所巡覧図絵」
本住吉神社の由緒
神功皇后が三韓遠征(新羅出兵)の帰途、難波に向かう神功皇后の船がぐるぐると廻り進まなくなった。
武庫の湊に引き返して占いをすると、天照大神を西宮の廣田神社、稚日女尊を生田神社に、事代主尊を長田神社、そして表筒男命、中筒男命、底筒男命の三神を大津淳中倉長峡に祀れば航海を守護するとのお告げがあったので、それぞれ神主を選んで祀らせた。
大津淳中倉長峡の地が莵原郡住吉であり、大阪の住吉大社には後にここから移されたものであるために、こちらを本住吉と呼ぶと伝えられています。