播州名所巡覧図絵「麻耶山」

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名所図絵とは?

名所図絵は江戸時代に流行した観光ガイドブックです。「麻耶山」は、お釈迦様の生母として知られる麻耶夫人がその名の由来です。原文はくずし字ですが、そのままでは読みにくいので活字に直しています。要約すると当時の雰囲気が伝わりませんので、そのままの文章で記載しています。

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佛母麻耶山忉利天上寺

上野村、閻魔堂より十八丁、休所三つあり。七まがりを過ぎて、ニ王門に至る。門外の石段七段、都合二百十壇にして、すべて登る事、尤急也。山頂は諸州一望に見下ろし、大海、其内にあり。海嶋は鏡のちりのごとし。

村里は一握の栗のごとくのぞめり。當山の開基は天竺法道仙人にして、古義の眞言也。法道は、「元亨釋書」神仙の部にありて、皇太神宮、菅相丞、久米ノ仙人、都良香等に連綿す。

仙人の傳は、尚、法華山の條に見るべし。釋迦、忉利天へのぼらせ給ひし義を以て、忉利天上寺と號け、佛の母、麻耶夫人を安置せし故に、佛母麻耶山といふ。

観音堂、夫人堂の左にあり。長一寸六分、又、閻浮檀金、三寸の像を胸中に蔵む。毎年二月初午の日、法會あり。

開山堂、夫人堂の右にあり。法道仙人、弘法大師を安置す。奥院、五丁斗をく也。女人入事を禁ず。

什寶都丸ノ面、山下上野村、幸王大夫が家に有しを、當山に納む。春日の作。一面は金春大夫にあり。一面は丹波梅若大夫にあり。幸王は南都薪の能に出勤す。雨乞の時、此面出す也といふ。

夫人堂、山上の南面にあり。長、六尺五寸。釋迦、右の脇より誕生の像なり。

麻耶夫人は釋迦如来の御母にて、天竺迦毘羅施兜国、白浄王の夫妻なり。夫人眞正なると、白浄王の因縁を観て、菩薩化して夫人の胎中に下生、現世に生じて俗を悟さしめんが為也とぞ。

夫人、眠窹暫時の間、菩薩、六牙の白象に乗て来て右の脇より入ると覚え、懐胎十月満足して、四月八日の日、始めて出る時、夫人圓中無憂樹の下に立て、右の手を挙て率て摘とする時、菩薩、右の脇より出る。時に樹下に七寶の茎の蓮華を生ず。

大さ車輪のごとし。菩薩、此上におちて、自ら行事七歩にして立り。大梵天王、白拂を持して左右に立ば、難陀羅王、優婆難陀龍王、虚空より清浄水を吐て、一温一涼を太子の身に灌げり伝伝。

「播州名所巡覧図絵」