東泉寺と湯泉地温泉

東泉寺古図写し

湯泉地の旧状を描いたこの古図は、東泉寺(本尊薬師如来、祐光山と号する)の湯を修復した時の見取り図と修復費を示しており、この費用は三村区の6大字によって為された。

各棟の名所から見ると、一般に開放されていたのは「入込之湯屋」だけだったように思われる。

これらの建物はすべて今よりはずっと下にあったことは云うまでもないが、明治の水害によって押し流されたりして潰滅、その後も国道建設などによってこのあたりは随分と削られ、今はすっかり地形が変わってしまっている。

図に記された武蔵への道は今もあるが、現在の湯の里の前の急な石段はその後のものである。(林宏 十津川郷探訪録 民俗3)


湯泉地温泉年表

宝徳2年(1450)
東泉寺境内に温泉湧出。(東泉寺縁起)

天文22年(1553)
本願寺僧が吉野郡の下市御坊(願行寺)から十津川に湯治で訪れる(私心記)

天正9年(1581)
高野山に追放された佐久間信盛が十津川温泉で横死(多聞院日記)

天正14年(1586)
本願寺の顕如上人が入湯(宇野主水記)

文禄4年(1595)
郡山城主豊臣秀保が十津川温泉で遭難(東西歴覧記)

寛政3年(1791)
温泉の湧出地について、湯原温泉は湯ノ原村と武蔵村の東泉寺温泉にあり(大和名所図会)

後に湯ノ原の温泉は大水害で枯渇。


湯泉地温泉写し

湯泉地温泉

昔は「東泉寺」と書いた、東泉寺は温泉の守り佛の薬師如来を本尊として建てられた寺である。東泉寺縁起によると、この温泉は「役の行者」の加持祈願によって湧出したことになっている。昔ここを訪れた著名人は佐久間信盛(1581)本願寺門跡顕如上人(1586)郡山城主豊臣秀保(1595)などがある。いずれも療養のためである。

泉質は「単純硫化水素泉」で、リウマチ、神経痛、婦人病、皮膚病などによく効く。(林宏 十津川郷探訪録 民俗3)


湯の神薬師

上略図に描かれた田本義光家の一寸下手から石段を登ってコンクリートの落石シードの上に出、そこから鋭角に左折すれば段々道を少し登ってその前に出る。山際の石積みの基壇上に新しい祠が大川に面して建ち、その辺りだけやや太い杉の木が3本際立っている。

鎮座は昔からで、かつての東泉寺の後身らしく、20年毎に遷宮が行われ、3年前にも造宮した。湯泉地温泉の守護神である。

祭りは毎年正月8日、三村区6大字と役場、それにここから湯を引いている湯の里、十津川荘、武蔵、中村などの旅館や民宿が寄って餅撒きをし、持ち回りの宿でご馳走をする。(林宏 十津川郷探訪録 民俗3)


廃仏毀釈

明治元年(1868)神仏分離令

明治4年(1871)郷内51か寺(いずれも禅宗)仏祭を神葬祭に改める(十津川記事)

明治6年(1873)郷内すべての寺院を廃することが認められた(十津川記事)


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